ノスタルジー

自分のこころを見つめるブログです

お盆なので、、

母親の三回忌が去年すんで、
今年は4年目になります
お盆になって、母親は来てるのかしら、、、

亡くなる時しきりに、家へ帰りたいと言った母

父が建てた家じゃなくて、Y県の本家のことでした

あそこには皆んないる、、
と言ってました

たしかに、祖母の姉妹が、
その、いとこも夏になると皆んな来ていました

穏やかな人達なので、それは楽しい時間を過ごしていました

母親は震災の時、肺ガンが見つかり、私の近くにアパートを借りて父親と住んでいたけど、治療もあって辛い時間を過ごさせてしまいました

ガンは、普通に暮らしてきてる人達が珍しくもなくかかってしまうけれど、もう少し楽に闘病生活を出来ればと願わずにはいられません

母親の場合は手術を繰り返した後色々な抗がん剤を試しましたが無理でした

改めて母親が、どんなに本家に行きたかったのか、帰りたかったのかを知ることとなりました

母親は神奈川に若い頃住んでいて美容師として働いてたのに、結婚のためにM県に嫁ぎました

泳ぎも出来ない母親が、船に乗せられアワビやウニなどを採るため潜って海女みたいなことをさせられてたのですが元来美容師だったので、私の生家となる場所で、一軒家なのに、美容室が2つ、床屋が1つという珍しいお店が出来上がりました
(父方が美容師と床屋なので)

しかし、田舎の美容室では、きっちりパーマ(大仏様のような)が流行ってて、ソフトパーマの母親は人気が無かったらしいです

母親はとてもジレンマに苦しんだと思います

でもY県の本家はみんな優しかった、、、

母親の楽しい思い出は、Y県にあったんだ、、、

帰りたい、帰りたいと泣く母親にもはや帰る体力はありませんでした

でも、母親は根っからの明るい人だったので、今は笑ってることだと思います

どこにいても、この空はY県に繋がってる、、
と空と雲ばかり見てました

隣の県だからすぐ行けるのに
行かなかったのは、ずっと周囲に気を使ってたんだと思います

私の飼ってたネコのにゃうにゃうと、お盆は訪ねてくるのかしら?

あと3カ月もすれば20歳のネコでした
震災からご飯を食べないようになりました

そんなペット達は多くいたみたいです

そして先の震災でお亡くなりになった、親戚、友達、知り合い、恩師、そろそろ7年半経ちますね

どうか皆さんを待ってる場所に帰省できますように、、














暗い話ですいませんが、お盆中なので許してくださいね