ノスタルジー

自分のこころを見つめるブログです

ドカン

昔は公園でもなく、広場があると大きな土管が大量に置いてありました

小学生なら、土管の中で遊べるくらいの大きさ

何に使ったのかはわかりませんが、、、
昭和の時代はとかく、大きな工事が多かったのはあります

小学校5年生の時、友達が算盤をしてるということで、数字の弱い私は算盤塾に行くことになりました

しかしながら、、、算盤は数字の羅列、、

行きたくなくてサボり気味になったのです
だけど、行く場所がなくて見つかったら怒られるので、途中にある土管の中で休憩してました

でもそこに同級生のNちゃんが来たので、Nちゃんと土管の中でおしゃべりして過ごしました

そのNちゃんが、私の事情を友達に話したのです

何故か学校に行くと伝わってて、、、

また土管に隠れてた私のところにKちゃんとEちゃんが来ました

アニメの話しをしたり、クラブ活動の話しをしたり
お菓子を買って楽しい時間を過ごしたのです

その頃Kちゃんは合唱部にいたので、合唱の歌を教えてくれたので3人で大声で歌って
何故か合唱の練習が始まったのです

僕はマルコポーロ♪僕はリビングストーン♪僕はダニエルブーン♪僕は自由な旅人♫
なんて歌詞の歌でした(何故かよく覚えてる笑笑)

広場だったので、それは大声で、Kちゃんの指揮で歌の訓練をさせられました

次の塾がある日
広場だけど、みんな通る道なので、同級生のMちゃんに3人は見つかってしまいました

なんかpちゃんのお母さん、pちゃんを探してたよと言われました

マズイ、、、

慌てて帰ったら、案の定、塾をサボったのがバレて叱られました

次に塾の時は、サボりがバレて行きにくくて、また土管に行ってしまったのです

でも、沢山の土管の中に、いろんな子供達が入ってました

いつの間にか、遊べる場所として有名になってしまってました

1人1個か、グループに1つの土管だったので、私が入れる土管がなくなってました

結局行く所が無くなり、塾に戻りました
それ以来、毎日人気の土管が満管?なので、諦めました

しかし、数字嫌いの私は、1度目の算盤の検定試験をとって塾を辞めてしまいました

親は、がっかりした風でした

というのも、、

父親は若い頃、算盤塾の講師をしていたからでした、、

そういえば、、父親も、おばあちゃんも数字に強かったなぁって、、

私だけ数字嫌い、、、

本当に嫌いなのか、、以前数字の本を買ってやってみましたが、面白いのです

まぁ、中学生程度のものですが、公式に当てはめるとスルスル解ける

勿体ない小学校、中学校時代を過ごしたと初めて感じたのでした


コンビニの裏に、野良鹿がいました笑
今は人口よりも野良鹿が多いと聞きます
こちらでは鹿は神鹿(しんろく)様と呼ばれ神の使いとしてそのまま人間と共存して住んでいます
自然いっぱいな地元なのでした