ノスタルジー

自分のこころを見つめるブログです

ワシの剥製

私が4歳になったばかりの時母親が家出しました

その時の光景をずっと覚えてます

二階から駆け下りてきた母は泣いていました

私の手を引っ張り、行くよと言うので、靴を履こうとした瞬間、ばあちゃんが私の靴を持って、「Pちゃんは連れてくな」と言ったのです

そこへ、父親が現れて「靴を渡せ」と言ったのです

それで私は靴を履いて母親とバス停に向かいました
でも、交通機関はバスしかなく2時間待ちでした

母親がどこに行こうと私に言ったので、Y県のおばあちゃんちと言いました

何が起きたのか全然わからない私は、とにかくY県のおばあちゃんちがユートピアだったのです

泣いてた母親が笑顔になってバスを待ってる2時間は長かったけど、私はおばあちゃんに会える楽しみとあの大好きな風景を思い出してワクワクしてました

着いた私達をおばあちゃんはニコニコ顔で迎えてくれました

それからは毎日が夢のような日々でした

その頃おばあちゃんちは田んぼの中にある住宅で、イナゴを取ったり、G温泉に行ったり、A温泉に連泊したり、オシャレな洋服を着せられて、母親の弟と彼女さんに遊んでもらったり、本家で皆んなとお団子作ったり毎日が楽しくて、このまま、おばあちゃんちで暮らすのだと思ってたのです

一か月もしたころ、母親が父親のところに戻ると言うので
すごく悲しくて、気持ちが下がりました

その前に母親の従兄弟のうちに行くよと言うのです

従兄弟は本家の裏手にある家に1人で住んでいました

あれ?そういえばこのおじさん、よく会ってるおじさんだ

なぁんだ、母の従兄弟なんだとその時わかりました

職業は、、、
家の中に入ると、、剥製だらけ、、

猟師&剥製作る人だったのです

鷹や、ワシ、熊の剥製を見てすっかり、ビビリの私
生きてないけど、、動物達が皆んなこっち見てる気がして
全然落ち着いていられないのでした

従兄弟のおじさんは母の事情を知ってるみたいで話をしていました

じゃあ、これ持ってけと、ワシの剥製をくれたのです

ええええ、、、

いらない、、、

どうやって持ってくの?

ワシと一緒に帰るのはとても嫌でした

父親が新しい住宅で待ってるから帰ると言う母親に、がっかりしてたのに、ワシまで家に行くことになったのです

ワシは羽ばたいてる姿なのでそれはすごく目立つし目つきも鋭く可愛くない、、

帰り道の途中仙台の丸光デパートの前からバスに乗ることになってました

母親が羽ばたいてるワシを持ってるので、周囲の人は驚いてるってもんじゃない

怖がったり、声を掛けてきたり、皆んな圧倒されてる感じでした

子供ながらに母親と一緒に歩くのが一番嫌な日でした

それから母親は3人で住めることに喜んでいましたが、私の一番はY県のおばあちゃんちだったので、毎年夏には行くことを、母親と約束したのでした

そのワシは始め、住宅の玄関に飾ってたのですが、来る人が怖がったり、子供が泣いたりするので、いつのまにか場所を変えてどこかにしまわれてしまいました

私にとって母の家出より、Y県で過ごした幸せな日々
ワシの剥製を持ち帰ってきたことが心に残ったのでした

後から聞いたのですが、母に義理父が、働き手として失格だから、出て行けと言ったそうでした

私と従兄弟2人を母親が育ててたので、働き手として家の中、外のことをするのはそれ以上無理なことでした

あのワシはまだ納屋にあると思いますが、機会ありましたら画像UPしますね笑笑

G温泉、おばあちゃんと泊まった時の旅館です

おばあちゃんがスポンサーなので、いい所に泊まれました笑